学校法人法華学園 興隆学林専門学校 学校法人法華学園 興隆学林専門学校 会員専用資料室

学林概要

座談会

頭だけでなく、心で理解する難しさ。それをどう教えるべきかと日々、苦悩する教員たちとともに、学生たちはそれぞれに学び取り、大切なものを学林で見つけ、確実に本物のお坊さんへと近づいているのでした。そんな嬉しい発見がたくさんあった座談会です。

井桁: 私はお寺の一人息子ですが、最初は全く継ぐ気がなく、カウンセラーになりたくて大学へ。でも、そこで理想と現実の差に直面し、師匠である父に相談し、お坊さんでもカウンセリングの役割は果たせると言われ、決心しました。

松嶋: 私母方の実家がお寺で、出家のきっかけは祖母の死でした。私が後を継ぐことを切望していた祖母は、周囲の誰よりも信仰心が厚かったのに、病気であっけなく他界。そのことで私は信仰がわからなくなり、大学卒業後は派遣社員に。その後も悩み続け、両親や祖母への本当の恩返しを考えた時、それは物を贈ること以上に、自分の人生をかけて後を継ぐことではないか?と思い、まだ疑問は残ったままでしたが、その答えは学林で見つけようと、入学しました。

渡部: 私も祖母の死をきっかけに、供養のため兄弟4人揃って出家。その後、私は大学・大学院へと進み、興味の赴くままメダカを研究していましたが、ある時、研究は私でなくても優秀な人がいるが、祖母の供養は気持ちを持った自分にしかできないと思い、学林に入りました。

写真左から渡部憲吾(宗学研究科・Aクラス)、松嶋喨寛(宗学科・Bクラス)、井桁榮秀(宗学科・Cクラス)
写真左から渡部憲吾(宗学研究科・Aクラス)、松嶋喨寛(宗学科・Bクラス)、井桁榮秀(宗学科・Cクラス)

井桁: 入学前の学林は、殴られて覚えるぐらいのイメージだったので、入学後、1週間経っても何も起こらなかった時は、逆に不安になった程です。ここでの厳しさは理不尽なものではなく、例えば、自分ができないことに対し、社会では“使えない”と即レッテルをはられるところ、学林ではちゃんと先輩方が叱り、指導して下さる。ありがたいことです。

松嶋: 私の場合は逆で、厳しいとは聞いていましたが一応、専門学校と名前がついているし、普通の大学と大差はないだろうと。寮生活がはじめてだったのもありますが、思っていた以上の厳しさに1日がすごく長く感じました。

渡部: 私も松嶋君と一緒で甘く見ていました。両親が友に学林出身で、楽しかった思い出ばかり話していたので。私が身構えないための配慮からだとは思いますが、もう少しリアルな話をしてくれていれば、入学したてのオリエンテーションを横文字の印象だけで楽しいものと勘違いすることもなかったのですが。

松嶋: 入学したてのオリエンテーションは、私も辛かった記憶だけが残っています。今まで自分が経験し、築き上げてきたステータスを一旦すべてゼロにする作業にすごく抵抗を感じて。例えば、自分より年下でも先に入っていれば無条件に先輩。そうした制度に慣れるのが大変でした。

株橋: それはお釈迦様の時代から2千年以上も守られてきた伝統です。当時は厳しいカースト制度があったのですが、王族も奴隷も、出家したら先に入った人が先輩。過去の肩書きは一切関係なく、ゼロになります。その作業はとても重要で、お坊さんというのは世のため、人のために働くべきであり、妙なプライドは邪魔になるだけ。それよりは仏様の教えを信じ、伝えていくことが大切なのです。しかし、オリエンテーションがそのような功を奏しているとは夢にも思いませんでした。苦心して考えたかいがありました。

菊田: 株橋先生の言う通り、仏様の前に出るとみんなゼロです。ただ修行ということで言えば、1日でも早く入った人が先輩で、その上下関係は僧侶としての道を歩んでいく上で外せないものなのです。

写真左から株橋隆真教授、菊田俊浄助教授
写真左から株橋隆真教授、菊田俊浄助教授

渡部: 今年で3年目を迎える私にとって、いまや修行のつらさは当たり前になりましたが、今度は自分たちが下の学年を指導する立場になったので、その方法を巡り意見が対立したりして、違うストレスがたまるようになりました。祖母の供養という面では、お経も唱えられるようになり、技術的な向上はもちろんですが、ここで何度も手を合わせるうち、心の中に自然と感謝の念が沸いてくるようになり、本当の供養が何か分かってきた気がします。それは普段の生活でも言え、何をするにも感謝の気持ちなしには生きてはいけず、その思いは学林に来なければ、得られなかったものだと思います。

松嶋: 私は2年目になって自分のしていることは、すべて広くつながっていて、しっかりとした土台の上にあることがわかりだし、喜びに感じています。宗教と言うとオカルト的なイメージが先行しがちですが、例えば、霊魂ひとつにしても先生に教わるとすごく理論的で、すべてに原因と結果があることがわかります。それを知る度に、自分のしていることは間違っていないという確信を得て、本当の意味で祖母の供養に近づいている気がします。

株橋: 職員会議で私達はいつも、どうすればみんなが教義を頭で理解するだけでなく、肌で感じ取り、生活の中や修行として、やっていってくれるだろうか。そのためのカリキュラムはどんなものがいいかと頭を悩ませているので、今のような意見が出るのは非常に嬉しいことです。

菊田: 修行も肉体的にただ辛いで終わっては意味がない。これは何のためにやっているのか?という部分を自分自身で考え、意味を見つけ、このための教義だとわかってくるとありがたいと感じられるようになり、それが一番ベストです。

井桁: 私は1年目でまだ余裕がないのですが、学林で毎日お勤めを続けるうちに、自分の中ではじめて誰かのためにお経をあげたいという気持ちが起こり、お参りに行かせてもらいました。その時、自分はお坊さんになったのだなと実感し、お経の最中、ありがたくて、涙が止まらなくなって。この気持ちの変化だけでも、学林に来た意味があったと思います。

株橋: 我々は成仏を目指すのですが、それは何も特別な能力を身につけていくのではなく、本来みなさんが徳として持っている大事なものを引き出していくこと、これが私は修行だと思います。今まで自分を覆い隠していた全てをここで取り払い、本来の自分がでてくることで、3人は確実にお坊さんに近づきつつある、それが今回、実感でき大変嬉しく思います。

菊田: お坊さんというものは、自分で成ろうとするものではなく、本来もっているものがあり、ご縁があって、仏様のお導きで成らしていただくものなのです。それまでの過程、修行の場として、学林が大きなウエイトをしめていると思います。

株橋: 結果ばかり考えず、目の前のことを確実に毎日、心を込めてやる。その積み重ねが大切で、それが修行なのです。